そのとき、父 政雄(当時35歳)は初めて子供の名前を付けなくてはいけない義務が生じました。「どんな名前を付けたって、死ぬのは死ぬ、育つのは育つ」と、何も考えずに一日、また一日と時が過ぎたのでした。
「そろそろ、名前を付けなきゃな」と考えたのが生後5日目。最初は面倒くさいので自分の名前(できんのかいな?)と同じにしてやれと考えていましたが、ふと、目に止まったのが一枚のポスター(?)。そこには、「清く、正しく、美しく......」と書いてありました。「そうだ、『清正』にするかな。いや、待てよ。さっき見たとき泣くのがうるさかったからな。よし、静かになるように『清美』にするぞ。そうだ、まん中の『正しい』が余ったから、読みを『ただし』にしちめぇ」(やれやれ...)
こうして、「清美ちゃん」の名前は『清美』と付けられたのでした。ただ、さすがに『ただし』の読み方は、親戚一同から猛反対にあい、結局『きよみ』という、ありきたりな読みになってしまいました。(そりゃ、そうだ)